今から考えれば1970年代は日本の音楽シーンの変革期だったと私は思います。反戦歌や借り物のフォークソングではなく、日本オリジナルの曲が増えた時代。海外に影響を受けながらも、レベルアップした演奏やアレンジ。シンガーソングライターやキャラメルママのようなバンドが80年代のポップスの下地を作ったよう思えます。
70年代のはじめは、まだまだ海外の情報が少なくて、音楽雑誌や宝島のようなサブカル雑誌で取り上げられる程度。(ポパイのような情報誌が増えるのは70年代の後半)ラジオで、雑誌で知る、海外のミュージシャン情報を頼りにしていました。
当時、歌謡曲ではなく洋楽のレコードはヤマハや十字屋などの楽器店で多く扱っていて、帯や解説はついているものの国内プレスのLPレコードは2500円くらい(78年)。73年のベストセラー井上陽水「氷の世界」が2,200円。70年代は所得も物価も1970年と1979年では3倍くらい変化した高度成長期。映画が700〜1300円くらいなのを考えればレコードが如何に高価だったがわかるでしょう。
そこで、洋楽好きな人が経営する輸入レコード専門店という、小さめの店舗がいくつもありました。78年発行の雑誌「宝島」に載っている代表的な店舗をあげると、芽瑠璃堂(吉祥寺)、オーク(原宿)、パイド・パイパー・ハウス(青山)、スミヤ青山店(渋谷)、ディスコマニア(中目黒)、ジョージア(吉祥寺)、ヒルビリー(渋谷)、キニー(新宿)、フライング・ソーサー(横浜元町)、サカネ楽器(北心斎橋)、フォーエヴァーレコード(西田辺)、プー横丁(京都今出川)、ジャンクショップ(京都寺町通)。いくつかの店舗は場所を変えていまでもやってらっしゃるようです。
こうした輸入レコード店は、洋楽が好きで、それぞれ好きなジャンルをもってやっていることが多くて、そこに集まってくる人たちも同好の士なわけで、ミュージシャンや音楽評論家が常連ということもありました。スタッフによっては、いろいろ教えてもくれたし試聴もさせてくれました。プロデューサーやバックミュージシャンで好みを手繰り寄せる術もこんな店で覚えました。初めてパイドパイパーハウスへ行った時も、見ているレコードせいで「若いのにそういうの聴くんだ!」などと知らないお兄さんに声をかけられたこともあります。そんな交流も輸入レコード店の良さでした。

左:渋谷・下北沢のレコードショップを紹介したマップ(2021年)。右:雑誌「宝島」1978年12月号
70年代に輸入レコード店が増えたのは、洋楽レコードが「早い・安い」店だったから。レコードは書籍と同じで「再販制度」というのに守られていて勝手に安売りしたり高く売ってはいけないことになってます。もともとライナーノーツの翻訳や宣伝など、本国よりも手間がかかって売り始めるのは遅くなるし、レーベルによっては契約料が高くて、さらに上乗せされた金額だったようです。輸入盤は国内盤に較べてかなり安く、B級品にあたるカットアウトなら1,200円と半額以下ということで、学生だった私はもっぱらコレでした。
タワーレコードが宇田川にできたのが81年。80年代はレコード店の大型化とCDへのメディア変更、ミュージックビデオの台頭、レンタルレコードで、こうした小規模な輸入レコード店は淘汰されていきます。
現在でも日本とアメリカは再販制度の違いで、旧譜を途中でディスカウントでして販売できるアメリカは、いまでも昔の名盤が安く売られていて、レコードの売上でもランキングの上位は旧譜のようです。
最近は、東京や大阪でも中古レコード店が増えているように感じます。金額は高いがAmazonでリマスタリングの新品が買える名盤もあります。






