若い頃は長電話していたけれど、歳をとった近頃は電話で話すことさえ減っています。仕事の打ち合わせはmeetとかskypeとかパソコンで会議することが多く、それ以外はchat系のツールで文字でのやりとり、家族間はLINEで済ませています。毎日スマートフォンに向き合っている時間は長いけれど、誰も長電話とは言いませんよね。

1990年当時のハンディフォン広告
ケータイ(移動電話)の元をたどれば、自動車電話が一般用サービスをスタートしたのが1978年12月。車外でも利用できる自動車電話がほしいという声で生まれたのが、平野ノラがバブリー時代のアクセサリーとしてコントで使っている「ショルダーフォン(社外利用型自動車電話:1985年 重量は3kg)」※1というもので、本当の意味での携帯電話1号機は1987年(契約時の料金が29万8300円で保証金20万、月額使用料2万3000円。重量が700g)※2でした。端末は1994年までレンタル制でした。
その後、技術の進歩で軽くコンパクトになっていくわけですが、90年代に入るとパソコンでの通信が盛んになり、90年代後半からはインターネットを利用する人も増えてきます。映画「ユー・ガット・メール」が1998年。その翌年にNTTドコモが携帯電話向けネットサービス「iモード」を始めます。それまではモデムというデジタル信号を音声に変える機械で通信をしていたわけで、電話がつながっている間はデータのやり取りがなくても電話代を払うという時代でした。インターネットの利用はデータ量ではなく「通信の接続時間」単位で課金されていたわけです。
そんな中で、通信データ量(パケット量)に応じた課金システムになったiモードに注目が集まり、ショートメールが割安で、インターネットメールも使える、着メロ、WEBブラウザが外で使えると音楽にとってのWalkman登場のように急速に日本独自のケータイ文化が広がります。
残念ながら通信3キャリアそれぞれに方式や、それ専用の機器ということになり、その競争が写メール(2000年)のようなサービスの進歩も生むのですが、やがて規格の不統一、日本独自の事情でガラパゴスケータイ(ガラケー)と呼ばれるに至ります。
iモードは、本質的には機械(ガジェット)ではなく、サービスをまとめたもので、いまでは当たり前のネットバンキングや無線カード決済。インターネット接続に、メール、カメラ機能、着メロ、iアプリ(ゲーム、電子書籍、コミック、地図)などなど世界に先駆けて移動電話にさまざまなサービスが提供されました。書籍「iモード事件」を読むと、PDAではなく、わずかな文字数の液晶画面や軽さでの携帯性にこだわっていたことが窺えますし、最初にくどいたIP(情報提供者)が地銀だったことや、iアプリのサービスが数百円の低価格で月額任意継続であることに先見性が表れています。特にすべてiメニューの名の下に定額制で集中課金されていたことは、今のApp Store、サブスクに影響を与えているでしょう。
2007年にiPhoneが登場し、スマートフォンに置き換わるようにしてケータイサービスは使われなくなっていきました。そして昨年末(2021年11月30日)にサービスとしてのiモードが終了しました。
iモードの生みの親のひとり夏野剛さんのインタビュー※3を読むと、Googleのシュミットに「iモードがなかったらAndroidのスマホを自分たちで作ろうと思わなかった」と言われたエピソードがありました。
「着うたフル」(2004年)があったからiPodで儲けていたAppleがiPhoneを作ったという話もあります。※4
つまりケータイ(移動電話)が、iモードというアイディアがあってメディア化したことで、今日の便利なインフラが産まれたのではないかと私は思います。
- ※メインイメージはNTT Docomo N502(最初のカラーimodeケータイ)
Created by modifying "22d" (©Mc681 (Licensed under CC BY 4.0)) - ※1
- ※2金額は日経トレンディ1997年no123参照
最初の携帯電話 - ※3「iモードがなければスマホは誕生しなかった」
――KADOKAWA夏野剛社長が語る「日本の経営者にいま必要なもの」とは? - ※4ジョブズがiPhone開発を決断した瞬間
〜iPhone誕生物語(6)







